年に一度の友人との会合 その1

土日の二日間をかけて、関西方面の友人たちとの歓談に出かけた。

播州赤穂で3人、福山で一人、大阪で一人の計4人と会った。

私の年齢になると、ほとんどの友人が何か持病を持っており、中には

重症のものもいる。

播州赤穂の友人は3人とも健康状態が思わしくなく、一人は歩行困難、

一人は脳梗塞の後遺症で足が不自由、もう一人は重症ではないが、持病を

3つも抱えている。中卒が一人、高卒が一人、大卒が一人だが、皆、

仲が良い。

中卒の友人は菓子屋の丁稚奉公をして、菓子の職人になり、故郷に

帰って、カステラ屋を開店して55年になる。切れやすく、少し面倒な

性格だが、私とはウマがあい、彼は私を親友と思ってくれているようだ。

最近、軽度の脳梗塞になり、少し足が不自由だが、まだ仕事を続けている。

高卒の友人は中学を出て、すぐに近くの街工場の工員になり、定年過ぎまで

勤めあげた。人柄が抜群で、私はこの男がとても好きである。将棋が得意で

大人になっても好敵手だった。私は中学のころ夏休みなどの休暇には、将棋に

入れあげていて、近所の子供仲間では一番強かった。その後は将棋を指すことも

殆どないが、好敵手は殆どいない。この好敵手の彼は仕事を止めてから、あまり

外出をしなくなり、家でTVばかり見るようになった。すると、たちまち足が

弱くなり、頭にも影響して、60代で認知症気味になった。今では殆ど歩行が

困難な状態で、お迎えを待つばかりのていたらくになってしまった。

大卒の友人は敵をつくらぬ性格で、政治家向きだと思っていたが、応用化学

を出てサラリーマンになり、定年後は百姓をしている。この彼が、3つの病気もちで

体調は可もなく不可もなくといったところ。でも80歳を過ぎて、5反もの畑を

耕作しているのは、大した物と言わざるをえない。

こんな友と年に一度会うために播州赤穂に出向く。生きているうちは行くが

死んでも葬式には行かないよ、などと憎まれ口をたたいている。

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