神戸生まれです
子供のころは戦中戦後の酷い時期で空襲にも会いました。疎開先でいじめにも会いました。でも、一番つらかったのは食べ物のなかったこと。米糠、麦糠、馬鈴薯の葉っぱ、カボチャの葉っぱなど、あらゆるものを食べましたが、馬鈴薯の葉っぱは不味く、米糠はとても食べずらい食料でした。
学校を出て大阪の化学会社に就職、三年後、神戸の会社に転職しました。ここは、とてもいい会社で、青春の思い出が沢山残っています。友人もでき、失恋もしました。結婚もして、子供も授かりました。平穏なサラリーマン生活を全うするはずでした。
ところが、予期せぬ事態が会社内で勃発し、やむを得ず会社を退職しました。ここまでがサラリーマン生活の前半で、仕事は化学品を開発する
エンジニアでした。
35歳になり、人材銀行の紹介で、東京の化学品を扱う商社に転職しました。ここでは、慣れない営業職でだいぶ苦労しましたが、何とか48歳まで勤めあげました。そして遅すぎる年齢で独立しました。そして、今に至っています。元来、営業には向かないシャイな性格なので、会社の仲間たちは、100%失敗すると、噂していたようですが、結果はまずまずでした。
独立した私は自宅を売って資金を作り、親類縁者と友人に出資を募り、当時、少しずつ認知の始まった健康食品の販売を始めました。知恵には欠けますが、誠意と根性(度胸)で何とか経営しています。100歳までまだ少し時間があるので、少しは名の知れた会社にして、あの世へ旅立ちたいと思っています。若いころに培った、ど根性はまだ残っています。