旧知、旧友との交流

年を重ねるほどに、旧知旧友が旅立って行き、年賀状が激減し、次は自分の番でもおかしくないが、それだけはかたくなに拒否し、何とか生き延びている。健康寿命がなくなって、介護されるようになってまで生きていこうとは思わないので、必死で自助努力を重ねて、誰かの世話になることの無いように努めている。

旧知旧友との出会いや会合はそれなりに楽しいので、同窓会とか、それに近い会合にはできるだけ出かけ、自分からも出会いをセットしたりしている。

親戚関係も目上の世代は殆どいなくなり、同世代か、年下の世代ばかりになってしまった。同世代の組も次々にお迎えが来るので、やむを得ぬこととはいえ、とても寂しいものがある。

私の会社は株主が殆ど関西在住なので、株主総会は例年、大阪のレストランで開いている。その株主も一人二人と減って行き、とても寂しものになってきた。8人ほどいた株主が今や

4~5人でこれ以上出席者が減ると、株主総会も体をなさなくなりそうだ。株主は親戚や友人ばかりなので、年に一度の総会は、元気な人は楽しみにしているのだが、話題は会社業績の

報告を除くと、どうしても健康のことになる。私が最年長なのだが、どうやら健康状態だけは私が一番よさそうだ。会社にはまだ、かなりの借金があるので、それを完済するためにも

100歳超まで健康的に生きるつもりなどと豪語している。それに対するコメントはないが、多分、出席者は納得しているのだろう。

今週末に関西へ行くが、今回は株主のほかに高校以来の友人と、神戸の会社員時代の社長とも会う予定で、これも楽しみだ。先方も楽しみにしてくれているようなので、気分が良い。

全員アラウンド80なので、お互いに何時お迎えが来ても不思議ではない年齢だ。祝杯を挙げるかは不明だが、AULD RANG SYNE(蛍の光の原型)の心境である。

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