次郎物語と死生観
20歳頃の話である。汽車での通学の道すがら、図書館で本を借りて濫読した。短編が好きで
ポー、コナン・ドイル、オー・ヘンリーなどが特に好きだった。その中に下村湖人の「次郎物語」があった。
1部から5部まであり、子供のころの1部、2部が特に面白かった。次郎が成長するにつれ、話が段々と
理屈っぽくなり、面白くなくなった。特に5部は次郎が高校か大学の時の話で、さっぱりだった。
その中で一つだけ、とても参考になる話があった。次郎の先輩に河合無門という男がいて、かなりの
ニヒリストなのだが、次郎は彼の人柄にひかれるようになる。あるとき次郎が河合に質問した。
人生の目的って一体なんなんだろうと。すると河合はこう答えた。それは「見事に死ぬことさ」。
この時次郎はその意味がさっぱり分からなかった。実は私もまったく意味が分からなかった。それが
段々と年を経るほどに、そのように思える自分がいることに気が付いた。格好良く死にたい、ということだ。
でも、20歳そこそこの青年が、そんなことを考えているなんて、ませているというか、可愛げがなさすぎる。
まるで、古代の哲学者のようだ。